(何度かの中国出張・滞在で得た多少の個人的な経験談を共有。皆さんの今後の中国旅行の際のご参考までに。当サイトの主目的とは関係ありません。経験談の目次はこちら。)
(この文章はもともと2008年初頃に書いていますので、ところどころ歴史を感じさせる表現が出てきます。ご了承ください。)
プロジェクトもなんとか最終報告の準備を終え、役員報告を待つばかりとなった最後の週末、日本に帰国する前にどうしても見ておきたかったものがありました。それはあの兵馬俑です。紀元前3世紀頃に権勢を振るった秦の始皇帝の墓を守る、あの無数の兵隊の土人形が埋まっていた遺跡です。それは青島から西へ遠く1,000km離れた、西安にあります。そこはかつて長安と呼ばれた都市で、秦だけでなく隋や唐など11王朝の都となった場所です。
空港から西安市街地まではバスで移動するのですが、西安に着いてまず驚くのは、街全体がビル5階建てくらいの高さの城壁で、四方をぐるっと囲まれていることです。その周囲は13kmにもおよびます。さすが中国の歴史ある都市です。また、その城壁から市街地に入っても、中心部まで着くにはまたかなり距離があります。ここでも中国都市の大きさを痛感しました。
ホテルでタクシーをチャーターし、兵馬俑を中心にいくつかの観光名所をめぐることにしました。タクシーの運転手は高速道路を150kmでぶっとばしてくれたので、市街地から50kmくらい離れた兵馬俑まではすぐに着きました。そこは、発見された兵馬俑坑(3つある)とその周りの土地を含めた兵馬俑坑博物館となっていました。だから門をくぐってから兵馬俑坑に到着するまでは、また5分くらい公園のような何もない広いところを歩かなければなりません。さすがに中国に3ヶ月もいると、中国人のメンタリティというものを理解してきていて、そういうことにあまり驚かなくなってきていました。
そのメンタリティというものは、やはり古代から綿々と引き継がれてきているんだなぁということを、兵馬俑坑をはじめて目にしてわかりました。歴史の教科書の小さい写真で見ていたあの兵馬俑坑は、実際はとても大きいものでした。そして一人一人顔の違う兵馬俑が、何千体も並べられているのです。そして30年前にはじめて発見されてから今でもまだ発掘・発見が続いているということです。昔、ドイツ人の学生が兵馬俑に似せた服を着て、この兵馬俑坑に紛れ込んで立っていて、しばらく誰にも気づかれなかった、という笑える実話がありますが、実際のものを見ると確かに一人くらい紛れて立っていてもそりゃ分かんないだろうなぁと実感しました。
■