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記録と記憶に残る旅の終わり

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またひとつのチャレンジが終わった。
今回のプロジェクトは、自分のコンサルティング経験の中で最もチャレンジングだったと言っていいだろう。
最も広大な、57の国・地域を対象とし、競合他社が2年以上かけてやったことを、1年程度で終わらせなければならなかった。
しかしひとまず、これをプロジェクト・マネージャとしてやり切ることができた。
 
始まりはいつも突然だ。
 
先のプロジェクトをちょうどやり終え、一段落ついているときに、昔から知っているが今まで一度も仕事していない先輩からのお誘いの電話。聞けばアサインしたPMが退職するので代わりにPMとして入ってくれないかという。クライアントは、数年前にも関わったことがあり、そこでは2年半のロングランなグローバル・プロジェクトを成功裏に終了させたという思い出がある。そして今回も、話は壮大なグローバル案件。できるできない以前に、やりたいという気持ちが起きる。二つ返事で承諾。
実はこの電話があった翌日に、いつもお世話になっている先輩から、また別の案件へのお誘いの電話があった。せいぜい10数時間の差で、もしこちらの話が少し早ければ、僕は別の場所で全く別のプロジェクトをやっていたのだから、人生とは面白いものだ。
 
 

そして、毎週の出張生活がまた始まった。先のプロジェクトは北だったが、今回は西。月曜朝6時に家を出て、移動に3時間かけてクライアントのオフィスに到着。平日仕事してホテルに宿泊し、金曜の最終便でまた3時間かけて家に帰る、という生活。大変だけどもう自分も家族も慣れてしまった。
 
プロジェクトは、グローバルで共通のオペレーションとシステムを、まず年度末にアメリカで導入したのち、次に全57の国・地域に展開していく、というもの。機密保持のためあまり細かくは言えないが、今までそれぞれの国や地域が独自の采配でオペレーションしていたものを、グローバルに統一して、品質向上・コストダウン・お客様への情報伝達のスピードアップを実現するという。グローバル・ガバナンスが比較的弱く基本的に地域のオペレーションは地域に任せるという日本の企業において、トップダウンでこのようなグローバル統合をやるというのはなかなか困難なものだ。しかも、マネジメントの意向で、当初提示していたスケジュールをかなり前倒しでやれということになったらしい。
 
プロジェクトは開始してすでに半年近くが経っていた。オペレーションとシステムの構築・運用を支援するパートナーもすでに決まっており、僕と同じ会社のコンサルタントも何名かすでに支援で入っていた。前任PMから2-3週間で業務を引き継ぎ、PMとしての活動を開始。
 
まずは6ヶ月で基本的なグローバル基盤を作り、アメリカで導入しなければならない。年度末の導入の日付はすでに決まっていた。プロジェクトがひいているスケジュールをレビューし、導入日付から逆算してみると、実はもう残された時間が少ないということを指摘した。そこからプロジェクトの各チームに巻きを入れていく。
 
しかし最も重要な部分が、アメリカの外部エージェンシーに握られており、しかも調整がなかなかうまく進まず苦労していた。アウトプットの品質も低い。このアウトプットを使ってオペレーションしなければならない中国の拠点からは、毎日問題の報告が上がってくる。時差の違うアメリカとは品質向上のためのTV会議をほとんど毎日朝8時から、そして夜22時からやり、中国とは会議結果を受けて適時に情報共有。日本側では品質チェックの活動をメンバーをかき集めて対応した。時差があるため24時間どこかで何かが起こっていた。まさに、毎日世界を相手に戦っているようだった。
 
一方で後ろにずらせない導入日付はどんどん迫ってくる。この日付はプロジェクトとしてマネジメントにコミットしており、絶対だった。これをずらせば、この先につながるグローバル・ロールアウトにも支障が出る。最終的に、当初予定よりも絞り込んだスコープで導入することをアメリカと合意することになった。
導入直前はアメリカのお客様拠点でオペレーションとシステムのチェックをしなければならない。しかしリソース不足とかでなかなか協力がもらえない。日本からメンバーを送り込み、コミュニケーションを重ね、彼らの作業を代替することで支援もし、スコープを絞り込み、ぎりぎりの段階で、ようやく準備が整った。
 
 
そして、ついにアメリカで導入開始。年度末に間に合い、コミットを達成した。
苦楽を共にしたメンバーとささやかなカウントダウン・パーティ。
 
 
しかし一息つく間もなく、プロジェクトは次のステージ、グローバル・ロールアウトへ。
カナダ、アジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、中南米、そして日本、すべての地域に同じオペレーションとシステムを、6ヶ月の間に、順次導入していく活動。プロジェクトの体制もスケジュールも、グローバル・ロールアウトへ完全シフトをかけた。
 
グローバル共通のプロジェクト・アプローチを定め、地域別のチームを編成。それぞれのチームがそれぞれの地域へ飛んで、それぞれのチームと進め方を共有し、タスクを遂行する。自分はところどころ主要な地域には直接出向いて地域のチームとコミュニケーションを取りつつも、基本的に日本にいて、マネジメントや関係者とのコミュニケーションや、全体の進捗と課題に目を光らせる。
年度末までは日米中の3拠点だけを相手にしていたが、ピーク時は本当に、世界のすべての地域で何かをやっている、という状況だった。
 
2-3ヶ月の準備ののち、まず中近東で導入開始。直前で問題が起きたりもしたが、予定通り開始にこぎつけた。
続けてアジア。スコープがこの地域だけ広かったが、現地のチームが最後がんばってくれて、ここも予定通り開始された。
少々ズレこんで台湾。一番心配された中南米は意外としっかり立ち上がった。
お膝下の日本、実は一番手間のかかる地域。限定スコープで予定通り立ち上がった。
そしてヨーロッパ。国数も多く言葉もすべて別々で煩雑だったため段階的に導入していったが、やはり現地作業がスケジュールに追いつかず、ずれ込みをなんとか抑えるのに苦労した。結果的に1ヶ月以上を要した。
 
最終的に数カ国を除いて、ひとまずグローバル・ロールアウトの波は超えた。
 
と同時に、僕達のプロジェクト体制も、終わりの時を迎えた。
終盤に開催された、世界中の関係者が集まるグローバル会議では、世界中に共通のオペレーションとシステムが展開されたこと、そしてそのビジネス効果が表れてきていることが示された。
 
 
最終日の前日に、クライアントの関係のみなさんと僕達チームメンバーとで、打ち上げパーティ。
クライアントと僕達がお互いに、それぞれ趣向を凝らし、それぞれサプライズを用意して盛り上げた、素晴らしいパーティだった。
 
最後にPMとして最後の挨拶。
プロジェクトに関わったみなさんに、感謝の言葉を1つずつ、そして激励の言葉を伝えた。
感極まって泣き出さないようにするのが大変だった。
 
スコープは57カ国ととても広大だったが、プロジェクトのメンバーとはとても親密に仕事ができた。
スケジュールは丸1年と長いようで、でも一瞬に過ぎていったようだった。
とてもしんどく辛いことが多かったが、今となっては楽しかった思い出しか残っていない。
 
これぞ、プロジェクトの理想の姿ではないだろうか。
こんなプロジェクトをリードできたこと、関わったすべての人たちを誇りに思う。
自分にとっても、人生の中で最も記録と記憶に残るプロジェクトになるだろう。
 
 
最終日にプロジェクト・オフィスを後にし、帰路に着く。
空港で出発を待つ飛行機を夕日が眩しく照らしていた。
ラウンジでビールを一杯飲んで、飛行機の席に座って目をつぶると、そのままあっという間に眠りについてしまった。
 
 
 

 

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